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熊本地方裁判所八代支部 昭和31年(ワ)159号 判決 1957年4月16日

原告

白福亀次

被告

白畑義美

主文

被告は原告に対し金十二万円及びこれに対する昭和三十二年二月二十日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告のその余を被告の負担とする。

本判決は原告が保証として金三万円を供するときは、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告が熊本県芦北郡芦北町大字白木五六〇番地に居住して農業に従事していると、被告が原告を殴打し、その前膊部に傷害を蒙らせたことは当事者間に争がない。成立に争のない甲第四号証、同第七号証同第十一号証の一、二証人白窪一、同白森亘、同白藤穂義、同白畑潔、同白角俊行、同白内ヨシエ、同白高ハツ子の各証言、原告本人尋問の結果、被告本人尋問の結果の一部を綜合すると、被告は昭和三十一年十月四日隣地の芦北町大字白木六〇三番地訴外白森亘方との間の境界の溝を越えて同訴外人所有の茶園の土を掘つて自宅の埋立に使用し右訴外人からこれを科められたところ、右茶園の一部が自己の所有である旨主張して紛争を生じたので、右訴外人は同部落内の農業委員等の役職をしている訴外白窪一を通じ同部落の区長をしている訴外白藤穂義竝に被告居住地附近に土地を所有している原告に右紛争の解決を依頼した。よつて訴外白藤穂義竝びに原告は前記白森亘と共に同月五日被告方に至り、右粉争の仲裁をしようとしたところ、被告は右白森に対し「何や、勝手なことばかり言う」と言つて暴力沙汰に及ぼうとしたが、いろいろ、口論の末兎も角被告が右白森の主張のとおり境界が溝であつて前記茶園の被告が土を掘つた部分が白森の所有であることを認めたので右粉争は解決したこと、右粉争が解決すると被告はその場に居た原告に対し「お前はすることはせずに、払うものも払わない」と因縁をつけたので原告がその意味を尋ねたところ被告は更に「お前は我儘勝手なことをしている、俺が忙しいので代人を出したら、きめられた通りにはせず、全部お前が取つている。俺は代書のところも調べて来た税金もお前はやらぬではないか」と言うので今度は被告と原告が口論を始めたこと、右事情というのは芦北町字村本五八七番地の二山林二畝は被告の父白畑己作名義に登記されていたところ、右山林は原告の養父が他から買受け、原告方で従来管理使用し来つたもので、原告の所有であり、単に登記簿上誤つて右白畑己作名義となつていたものであり、被告もこれを認めていたところ、右山林の所有権移転のことで前記白畑己作と原告間に粉争があつたが部落農業委員などの仲裁により、右山林につき白畑己作が従来支払つていた税金を原告側で弁償して、所有権移転登記を受けることに協議が整い、その弁償の方法として右山林の一部を白畑己作に引渡し、原告は残余の部分についてのみ所有権移転登記を受けることゝなつたこと、よつて右白畑己作は昭和三十一年五月四日右山林を一畝三歩と二十七歩に分筆して、同月八日二十七歩のみを原告長男和弘名義に売買による所有権移転登記を了したこと、しかるに、被告がこれを誤解して右山林二畝全部を原告名義に所有権移転登記を了したとして原告に因縁をつけたものであること、よつて、原告は左様な事実はないと思うが登記簿を見た上で返事をする旨答えその場はその儘終つたところ、原告は翌六日午前十時頃更に被告方に至り作業中の被告に対し「お前に何をやらねばならぬか尋ねに来た」と言つたところ、被告は「そのことは昨日済んだことだ、判らねば前記白藤に尋ねてくれ」と言つて真面目に応答しないため、両者口論となり、果ては被告が「打つぞ」というと原告が「打てるものなら打つて見よ」と数回執拗に斯様な問答を重ねているうち、被告は憤激の余り、その場にあつた鉈を振り上げて打ち下すような態度をとつたが、これは一旦思い止まつて鉈を手から離し附近にあつた棍棒を取り上げて原告めがけて強力に打ち下したので、原告は突嗟に左手を上げてこれを受止めたところ、前記左前膊部骨折の傷害を蒙つたこと、被告は原告が傷害を受けたのを見て暴行を止めたが、被告もその附近にいた被告の兄白畑潔も原告に対し何等の手当をしなかつたことが認められる。しからば、被告は故意を以つて原告に前記傷害を蒙らせたことを認めるに十分である。

被告は原告が前記傷害を蒙つたのは原告にも過失があつたと主張するから考えるに、被告主張のように、原告が被告に対し凶器を以て暴行する様な態度を示したことを認めるべき証拠はないが前記認定の事情によれば、被告が原告と争つた当初の原因は被告の誤解に基くものであるが、それにしても仲裁に来た原告に対し多数人の前で「土地を全部取つてしまい、税金も払わない」などゝ良い加減なことを言つて原告の名誉を傷つけたものであるから、これに対して翌六日原告が被告に対して事実の釈明を求めたことは当然であつてこれを原告の行き過ぎであるというのは当らないだろうし、被告はこれに対し事実を釈明し、自己に非があると思えば素直に謝罪すべきであつたゞろうと考えられる。しかしながら原告は、被告が真面目に応答しないことが判明した以上、話合で解決する筈もないので他に適当な方法を求めるべきであつたものと考えられるのに、いつまでも自己の主張に執着して、被告の態度に対応して口論をはじめ被告が「打つぞ」というと「打つなら打つてみよ」と繰り返しているものであつて、このことが益々被告の感情を刺激し、被告の本件傷害行為の決意を早める結果となつたものといえないこともないから、この点につき原告にも通常人の用うべき注意義務を怠つた過失があるものといわねばならない。

よつて、次に損害額につき審理するに、成立に争のない甲第四号証、同第九号証の一、二、原告本人訊問の結果により成立を認められる同第十号証竝に原告本人訊問の結果によれば、原告は本件傷害により昭和三十一年十月六日熊本市本荘町六四四番地井上整形外科病院に入院し、同月二十六日退院、同年十一月九日以降同三十二年二月十八日まで十三回に亘り自宅から同病院に通院して治療し、右入院治療費金七千九百六十円、入退院のための自動車、汽車賃等合計金千四百六十円、通院治療費金二千五百円を支払い。通院のため原告の住所地から鹿児島本線佐敷駅までバス代往復七十円、佐敷駅から熊本駅まで汽車賃往復二百八十円、熊本駅から病院まで自動車賃往復二百二十円合計金五百七十円を要し十三回分金七千四百十円を夫々支払つたので、治療費等に以上合計金一万九千三百三十円を支払つたことが認められる。被告は原告の住所地附近にも医師がいるので前記病院で治療する必要はなかつたと主張し、右住所地附近に医師がいることは認められるが、原告の前記傷害により、原告が前記熊本市内の病院で治療を受けたことは相当であると認められるから被告の右主張は採用しない。次に前記各証拠を綜合すれば、原告は前記住所地附近に田七反、畑二反五畝歩位を所有し、長男夫婦等と共に農業に従事していたところ、本件傷害により昭和三十一年十月六日以降同三十二年二月十八日まで治療を受け、現在も未だ全治するに至らないことが認められるので、右傷害により少くとも昭和三十一年十月六日以降同三十二年二月二十日まで百三十八日間の休業を余儀なくせられたことを認めることができる。而して、前記田畑を所有して農業に従事する原告が休業しなかつたとせば、その間少くとも一日二百円の収入を得たであろうことは容易に推認されるので、原告は被告の本件不法行為により百三十八日間の休業による合計金二万七千六百円の得べかりし利益を喪失したことを認めることができ、以上損害額の合計は金四万六千九百三十円であることが明かである。

次に原告の精神上の苦痛に対する慰藉料につき考えるに、原告が被告の本件不法行為により左前膊部両骨破砕の傷害を受け多大の精神上の苦痛を蒙つたことは推認するに難くなく、被告の本件不法行為における前後の情状その他諸般の事情を綜合すると、被告が原告の右精神上の苦痛に対して支払うべき金額は金十万円が相当である。

しからば、被告は原告に対し本件不法行為により原告に蒙らせた財産上及び精神上の損害金として合計金十四万六千九百三十円を支払う義務があるものであるが、原告には前記過失があるので、これを斟酌すると、被告の原告に支払うべき賠償額は金十二万円が相当である。

よつて、原告の本訴請求を右金十二万円及びこれに対する右不法行為の後であること明かな昭和三十二年二月二十日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 西〓孝吉)

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